2007年07月16日
新潟県中越沖地震・速報。
新潟・長野で強い地震がありました。
私の実家よりメールがあり、無事が確認できました。
新潟県長岡市小国町からの情報です。
震度6強と発表されています。
更新:「平成19年新潟県中越沖地震」と命名されたので、タイトルを変更しました。
私の実家よりメールがあり、無事が確認できました。
新潟県長岡市小国町からの情報です。
震度6強と発表されています。
更新:「平成19年新潟県中越沖地震」と命名されたので、タイトルを変更しました。
2007年07月16日
新潟県中越沖地震・続報。
新潟地震の続報です。
新潟県長岡市小国町太郎丸の集落内では、土壁の4隅が少し割れたというのが数件報告されました。その他の被害はないようです。山への調査は、午後に予定されているそうです。(情報源・太郎丸副総代)
また、小千谷市・魚沼病院で仕上壁(プラスターボードか?)が少し落ちたそうですが、大きな問題はなさそうです。また、小国町七日町のHARA氏の実家も無事だとのこと。(情報源・HARA氏)
震源に近い柏崎市の方が心配とのことで、午後、実家の母が、見に行くことになっているとのことです。
柏崎刈羽原子力発電所は緊急停止して、送電がストップしたようです。首都圏への電力不足が予想されます。
更新:「平成19年新潟県中越沖地震」と命名されたので、タイトルを変更しました。
新潟県長岡市小国町太郎丸の集落内では、土壁の4隅が少し割れたというのが数件報告されました。その他の被害はないようです。山への調査は、午後に予定されているそうです。(情報源・太郎丸副総代)
また、小千谷市・魚沼病院で仕上壁(プラスターボードか?)が少し落ちたそうですが、大きな問題はなさそうです。また、小国町七日町のHARA氏の実家も無事だとのこと。(情報源・HARA氏)
震源に近い柏崎市の方が心配とのことで、午後、実家の母が、見に行くことになっているとのことです。
柏崎刈羽原子力発電所は緊急停止して、送電がストップしたようです。首都圏への電力不足が予想されます。
更新:「平成19年新潟県中越沖地震」と命名されたので、タイトルを変更しました。
2007年07月16日
新潟県中越沖地震・続報2。
新潟の地震の続報2です。
長岡市小国町内では、七日町で水道管が破裂。
武石(柏崎市寄りの地区)で屋根瓦の破損が見られたもようです。
今回の地震は「横揺れ」で、2004年10月の中越地震の時のような突き上げるような動きではなく、加速度も半分くらいということです。詳しい資料は気象庁の発表を待つことにします。
小国支所、コメリ小国店などは、ものがかなり落ちたり、陳列棚が倒れた様子でした。
実家でも、棚が動き、その上にあったものが落ちたり、花瓶や植木鉢も落ちたそうですが、壊れたものはないようです。
また、ライフラインは正常に機能し、電話は混み合って繋がりませんが、スカイプ(P2P)の通信の威力が発揮できました。
軍事目的でつくられたWEBの利点が、民間でも役に立っていることが実感できました。
更新:「平成19年新潟県中越沖地震」と命名されたので、タイトルを変更しました。
長岡市小国町内では、七日町で水道管が破裂。
武石(柏崎市寄りの地区)で屋根瓦の破損が見られたもようです。
今回の地震は「横揺れ」で、2004年10月の中越地震の時のような突き上げるような動きではなく、加速度も半分くらいということです。詳しい資料は気象庁の発表を待つことにします。
小国支所、コメリ小国店などは、ものがかなり落ちたり、陳列棚が倒れた様子でした。
実家でも、棚が動き、その上にあったものが落ちたり、花瓶や植木鉢も落ちたそうですが、壊れたものはないようです。
また、ライフラインは正常に機能し、電話は混み合って繋がりませんが、スカイプ(P2P)の通信の威力が発揮できました。
軍事目的でつくられたWEBの利点が、民間でも役に立っていることが実感できました。
更新:「平成19年新潟県中越沖地震」と命名されたので、タイトルを変更しました。
2007年07月16日
新潟県中越沖地震・続報3。
新潟地震の続報3です。
画像は全て、気象庁の報道発表資料です。
発生から12時間が経過しました。
現地の様子がようやく解りはじめました。
click!
気象庁の発表した『「平成19 年(2007 年)新潟県中越沖地震」について(第3報)』によると、今回の地震で、最も合成加速度が大きかったのは、柏崎市西山町池浦で、1018.9galでした。
これは自由落下の加速度(≒980gal)よりも、若干速いという感じです。
click!
また、興味深いのは、2004年の中越地震と比べて、余震の数が少ないことです。
前回は「揺れっぱなしだった」という声が聞こえましたが、今回はそういうことはないようです。
しかし、メカニカル的にはそうであっても、家の中がぐちゃぐちゃになったという声も聞こえてきますし、柏崎市在住の友人たちの安否情報も確認できていません。
ボクは柏崎高校出身で、市内にも仲の良い友がたくさんいるんです。
ヘリコプターから映していた倒壊した建物や、中継の壊れた商店街は、通学路でした。
土砂崩れで信越本線が不通になっている地点、青海川駅は日本一「海に近い」駅、
とても美しく、ボクにとっては思い出の地なんです。
復旧に向けて、応援しています。
ガンバレ中越、ガンバレ柏崎!
画像は全て、気象庁の報道発表資料です。
発生から12時間が経過しました。
現地の様子がようやく解りはじめました。
click!
気象庁の発表した『「平成19 年(2007 年)新潟県中越沖地震」について(第3報)』によると、今回の地震で、最も合成加速度が大きかったのは、柏崎市西山町池浦で、1018.9galでした。
これは自由落下の加速度(≒980gal)よりも、若干速いという感じです。
click!
また、興味深いのは、2004年の中越地震と比べて、余震の数が少ないことです。
前回は「揺れっぱなしだった」という声が聞こえましたが、今回はそういうことはないようです。
しかし、メカニカル的にはそうであっても、家の中がぐちゃぐちゃになったという声も聞こえてきますし、柏崎市在住の友人たちの安否情報も確認できていません。
ボクは柏崎高校出身で、市内にも仲の良い友がたくさんいるんです。
ヘリコプターから映していた倒壊した建物や、中継の壊れた商店街は、通学路でした。
土砂崩れで信越本線が不通になっている地点、青海川駅は日本一「海に近い」駅、
とても美しく、ボクにとっては思い出の地なんです。
復旧に向けて、応援しています。
ガンバレ中越、ガンバレ柏崎!
2007年07月20日
震災の現地から1。
今回の中越沖地震では、柏崎市の報道ばかりが目立っていますが、
長岡市内で唯一、震度6強を観測した小国町も一部の地域でダメージを受けたようです。
小国町は、ちょうど小千谷市と柏崎市に挟まれ、2004年の中越地震にも被災しました。
小国町には、ボクの実家があります。
現地・父からメールが届きました。
以下、そのメールです。
--
見事に破壊されています。
RC造(鉄筋コンクリート造)の「教科書通り」の壊れ方をしています。
このヒビで、この建物はもう使い物になりません。
「もったいない」ですが、取り壊すしかないのです。
ボクは、こうしたRC造が好きでないのですが、
ちょっと壊れたら一巻の終わりで、単なる廃棄物になるからです。
まったくサスティナブル(循環型)な建築ではありません。
次の校舎を造るならば、子供たちに校舎そのものが、環境学習できるような、
環境負荷を考えた、美しいシェルターの「木造校舎」を提言したいと思います。
長岡市の担当者の方、よろしくお願いいたします。
長岡市内で唯一、震度6強を観測した小国町も一部の地域でダメージを受けたようです。
小国町は、ちょうど小千谷市と柏崎市に挟まれ、2004年の中越地震にも被災しました。
小国町には、ボクの実家があります。
現地・父からメールが届きました。
以下、そのメールです。
現職でないと情報に疎くなります。新聞に長岡市内において下小国小だけが休校という報道に疑問を感じていました。今日は休校でなくなったので問い合わせたところ、渋海小学校に間借りをして授業再開とのこと。理由はこの度の地震でかなりダメージを受けた様子。
早速行ってみましたところ、剪断による破壊が随所にみられました。
仮設校舎の建設が急がれているそうです。
震度6強を観測したのは長岡市では小国だけです。
代表的な状況を添付します。
--
見事に破壊されています。
RC造(鉄筋コンクリート造)の「教科書通り」の壊れ方をしています。
このヒビで、この建物はもう使い物になりません。
「もったいない」ですが、取り壊すしかないのです。
ボクは、こうしたRC造が好きでないのですが、
ちょっと壊れたら一巻の終わりで、単なる廃棄物になるからです。
まったくサスティナブル(循環型)な建築ではありません。
次の校舎を造るならば、子供たちに校舎そのものが、環境学習できるような、
環境負荷を考えた、美しいシェルターの「木造校舎」を提言したいと思います。
長岡市の担当者の方、よろしくお願いいたします。
2007年07月21日
震災の現地から2。
長岡市内で唯一、震度6強を観測した小国町。
ボクの実家があります。
現地・母から震災の晩にメールが届きました。
大変な状況が感覚的にわかるので、メールをそのまま載せることにしました。
--
柏崎市内の大変さが伝わってきます。
昨夜も、情報がないかといろいろなページを徘徊しました。
mixiの日記には、かなり多くの情報や状況がありました。
みなさん頑張っています。
ボクも何かできないか思案中ですが、まずは応援することにしました。
賛同して応援する方は、このロゴをご自由にお使い下さい。
がんばれ柏崎!がんばれ中越!
ボクの実家があります。
現地・母から震災の晩にメールが届きました。
大変な状況が感覚的にわかるので、メールをそのまま載せることにしました。
ご心配お掛けしましたが、中越地震の時とは違い余震が少なくて良かったです。例によってお父さんは留守、帰ってきたと思ったら公民館へ行ってくる・・・と出掛けました。
副総代なのでアッ余震です。長い。。。。今収まりまりました。でも未だユラユラしています、、、暫くは続くでしょう。
で、お父さんは又居ないので隣近所と広場で待機していました。こんな時近所の方が居ると本当に心強いです。
昼は簡単にすませて、お父さんは又集落の方へ行くので私は柏崎(の姉)が心配で様子見に行ってきました。水道とガスが出ないとのことで、非常用の水持って、水道の水もベットを集めてくんで。でもと思ってJAスーパーへ寄ったら休業でした。被害がひどくて店じまいしたようです。隣のセブン・イレブンに寄ったけどもう水は何にもありません。棚にも商品がいくらもないので、清水フードチェーンまで、アッ又です。こわいです。そのたび心臓がドキッドキッです。ガラスが気味悪くなるのでしかもね、、、
清水フードチェーンは開いてました。でも水はもうなくて仕方なくガス使わないで食べられるもの買ってレジしていたら、物置に水あるかも知れないので見てきますと、店員さんの声荷物車において又お店に入り待っていました。何本でもないけどありました。数本買って柏崎に向かいました。途中道路に亀裂が入っていて片側交通や段差で何とかゆっくり乗り越えたりして行くと、道路全体が盛り上がって交通止めになっていて、裏道を何とかみつけてやっとたどり着きました。
柏崎もあまり被害がなくて安心しました。救援物資も喜んでくれてヤレヤレでした。帰りは国道を行った方が良いかと帰路について間もなくハンドル取られて徐行してみると大きな余震で電線は大きくユレ人々も外に出てウロウロでも本震よりは小さいようで暫くして止まりました。そのまま行くと今度は国道の交通止め仕方なく又裏道、倒壊した家の直ぐ脇を通ったり石灯籠が倒れたそばにおじいさんが座り込んでいたのを見つけて危ないから家に入ってと声を掛けたり、でもおじいさん耳が遠くて困りました。大きな声出していると家の人が出てきて危ないから家に入ってと言うけど、頑固にいやがっていました。
そんなこんな瓦がぐさぐさになった屋根もありました。無事家に着いたらもう疲れてしまいました。(以下略)
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柏崎市内の大変さが伝わってきます。
昨夜も、情報がないかといろいろなページを徘徊しました。
mixiの日記には、かなり多くの情報や状況がありました。
みなさん頑張っています。
ボクも何かできないか思案中ですが、まずは応援することにしました。
賛同して応援する方は、このロゴをご自由にお使い下さい。
がんばれ柏崎!がんばれ中越!
2007年07月24日
震災の現地から3。
新潟県長岡市小国町の父より、新潟中越沖地震のレポートが届きました。
中心は原酒造
--
ニュースで見る光景ですが、改めて自分の知っている所だということが理解でき、
怖さと悲しさを覚えます。
さて、今回の倒壊の要因は、あらゆる情報から以下の3点ということが解りました。
1.地盤が緩い(弱い)、もしくは液状化を起こしたこと
2.間口一杯に入り口を設け、耐力壁が極端に少なく、バランスが悪かったこと
3.昭和56年5月31日の建築基準法改正前の建物だったこと
地震のリスクを考える上で、この3点をチェックしてみてください。
また、これから住まいを考えている方は、1.と2.に着目してください。
中越沖地震発生から1週間、中学時代の恩師宅が心配で、今日(23日)様子を見に行ってきました。市内は復興作業で渋滞が予想されるので、国道8号枇杷島交差点付近から歩いて西本町に向かいました。途中新橋当たりから完全につぶれた住宅が見え始め、「越の誉」の原酒造付近に被災住宅が集中していました。
中心は原酒造
地図から見ると、この辺はかつて「鵜川」が流れていましたが、河川改修でショートカット。埋め立てた跡と思われます。
明蔵寺信号を右に曲がると駅前の盛来軒に通じる道路で、信号から100mほど行った左側が恩師の住宅。幸い目立った被害は外見上見えなく、安心しました。それでも奥さんは心配で、部屋を見てほしいと案内してくださいました。わたしも、かつては木造住宅耐震診断の有資格者だったので、柱の傾きや筋交いの様子、梁の様子、基礎の破壊等詳しく見ましたが、問題ないと言っておきました。
調査済みの張り紙がありましたが、それだけでは半信半疑だったようです。私の一言でほっとしたようです。代表的な被災の様子、添付します。柏崎4(以下の写真)は原酒造の被災状況です。
なお、ここでの状況報告は枇杷島-新橋-西本町の入り口までのごく一部を紹介しただけですし、もっと撮影してありますが代表的な被災状況を送ります。東本町や新花町方面など、もっとひどい状況と思われますが、とりあえず取材はこれくらいにしておこうかと思います。機会があったらまた知らせます。
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ニュースで見る光景ですが、改めて自分の知っている所だということが理解でき、
怖さと悲しさを覚えます。
さて、今回の倒壊の要因は、あらゆる情報から以下の3点ということが解りました。
1.地盤が緩い(弱い)、もしくは液状化を起こしたこと
2.間口一杯に入り口を設け、耐力壁が極端に少なく、バランスが悪かったこと
3.昭和56年5月31日の建築基準法改正前の建物だったこと
地震のリスクを考える上で、この3点をチェックしてみてください。
また、これから住まいを考えている方は、1.と2.に着目してください。