2012年12月28日
奥村昭雄先生。
多くの人にとっての師であり、私の師匠、奥村昭雄先生が、27日の早朝、他界されました。
先月、環境創機の友良平さんが旅行の機会を設けてくれたのにもかかわらず、出かけられずに、ほんと申し訳けありません。
最後の旅行となってしまいました...。
24歳のとき、入社1ヶ月の私は、なんといきなり奥村先生の事務所(木曽三岳奥村設計所)に出向。先生のご自宅に間借りさせていただき、朝から晩まで設計や模型の製作、そして先生の晩酌のお供。あれは、たのしかったなぁ。夜中まで建築や科学のことを優しくニコニコと話していただいた姿は、今でも私の脳裏にありありと残っています。
その後も、仕事でもプライベートでも、ご自宅や事務所にお邪魔させていただきました。先生も、奥様のまことさんも、私のことを「ウチの書生だから」と可愛がってくれました。「書生の高橋くん」は、沼津式の煎茶を、たびたび淹れてさし上げたものです。
いまこうして、私が設計事務所をはじめる際にも、先生の言葉が多くの道標となってくれました。迷わず進める力を授けていただき、ありがとうございました。
先生のご遺体は、献体として医学に役立てるとのこと、なんとも先生らしいなぁ。
奥村昭雄先生、本当にありがとうございました。心よりご冥福をお祈りいたします。
人・建築設計所 代表 高橋貴大
先月、環境創機の友良平さんが旅行の機会を設けてくれたのにもかかわらず、出かけられずに、ほんと申し訳けありません。
最後の旅行となってしまいました...。
24歳のとき、入社1ヶ月の私は、なんといきなり奥村先生の事務所(木曽三岳奥村設計所)に出向。先生のご自宅に間借りさせていただき、朝から晩まで設計や模型の製作、そして先生の晩酌のお供。あれは、たのしかったなぁ。夜中まで建築や科学のことを優しくニコニコと話していただいた姿は、今でも私の脳裏にありありと残っています。
その後も、仕事でもプライベートでも、ご自宅や事務所にお邪魔させていただきました。先生も、奥様のまことさんも、私のことを「ウチの書生だから」と可愛がってくれました。「書生の高橋くん」は、沼津式の煎茶を、たびたび淹れてさし上げたものです。
いまこうして、私が設計事務所をはじめる際にも、先生の言葉が多くの道標となってくれました。迷わず進める力を授けていただき、ありがとうございました。
先生のご遺体は、献体として医学に役立てるとのこと、なんとも先生らしいなぁ。
奥村昭雄先生、本当にありがとうございました。心よりご冥福をお祈りいたします。
人・建築設計所 代表 高橋貴大
Posted by たかだい at 10:31│Comments(0)
│建築家
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